Buri Memo:

アイデアや気づきとかが雑に書き殴られる

書き続けて10年、ようやくプログラムに飽きが来た

工業高校で資格取得1のために触った PLC (工場用の頑丈なマイコンみたいなやつ)を触って以来、プログラム漬けだった。

このブログも勉強していく中で発見した喜びを綴るものでもあり、4年弱前に始めたものだ。

10年間ずっと夢中になっていたものがプログラムだったが、ついに飽きた。

別に極め切ったわけではないし、分からないことはまだまだある。それでもプログラムの根源的な部分はほとんどしゃぶりつくした気がしている。傲慢かもしれないが少なくとも自分がおいしく味わえそうな領域は大体消化してしまった。

少し前まではこんなに楽しいものいつ飽きるんだろうか、って思っていたけれどそれが訪れた。

これまでは IT 技術は「未知の概念を知る」という意味で勉強し続けていたのだが、 もはや「誰かが決めた仕様や定義を調べる」という作業になっていた。なんというか、淡々とこなすだけという感覚に。

AI (細かく言えば LLM をベースとした対話型テキスト処理サービス)がまともに動くようになる前でも、仕事でも直接コードを書くことは減ってきた。概念を考えてコンセンサスを取ったり、問題について整理してそれをベースに議論したり、コードを読んでレビューをしたり。あとは....停滞してる事を前に押して進めたり?

それに、ロール的にはアプリケーションというよりはクラウドインフラをどう組むかだとか、どう動かし続けるかを考える人になったのも大きい。(かっこよく言うと SRE ってやつ)

とはいえ別に嫌いになったわけじゃない、むしろ変わらずプログラムを作ることは好きだ。 熱狂が落ち着いただけという感じがする。勝手のわかる腐れ縁みたいな感覚になった。

ただ、もうプログラムを手で書くのはちょっとめんどくさいかな。
このタイミングで AI がコーディングを得意になってくれて本当に良かった。

これから興味の向き先はどこに向かうのだろうか。多分、人かもしれない。

今はゲームを作っている。

ゲームはもちろんプログラムを骨にした表現物で、インタラクションと音とビジュアル、ナラティブとルールで体験を生み出すものだ。 十分に仲良くなったプログラムを連れて歩くにはぴったりの場所で、しかも「ビジュアルや音、ナラティブ」という未知の分野がくっ付いてきてくれる。

ゲームは人の為に作るもので、人に触られることで意味がある。意図をゲームに込めてそれを感じ取ってくれる人がいるかもしれない。その一心で開発をしている。でも、たぶん、どんなに気合を入れて作っても初めて作って世に出したものがヒットするとは思えない。大半の領域はまだまだ初心者なのだから。

また、作業量も膨大だ。一人でやっていくのは大変だから、人にお願いをするのも増えていくだろう。 ゲームを知ってもらうのも簡単じゃない。そういう「作る以外の事」もやりながら、人に頼りながらものを作るということができるかもしれない。

次の10年はプログラムと一緒にゲーム開発に熱中できると良いなだなんて思っている。 その頃にはある程度飽きてまた少し違うチャレンジができていればいいなあ。

たぶん、ゲームを作っていれば10年なんてあっという間に過ぎると思う。 今のゲームでさえそろそろ2年になってしまうのだから。

また飽きる日が来るのが楽しみになってきた。


初めてプログラムを書いて作ったゲーム(HSP製)

https://github.com/buri83/Block_Crasher


  1. 具体的にはシーケンス制御3級。遅くまで残ってラダー図(PLC のビジュアルプログラム言語)を弄っていて、先生を困らせてた